この間、写真を撮りにいって帰ってきたら、手首にマダニがついていました。びっくりして取り除いたのですが、それをきっかけにマダニについて調べてみました。
いつも行っている林の入り口の道端でマダニを見たことがあります。この写真はその時に撮ったものです。葉先に止まっていて、長い前脚を開いたり閉じたりしていました。ちょうどUFOキャッチャーみたいにして・・・.。きっと、ここを通る獣の毛に捕まるのでしょう。マダニは蚊ほどは馴染みがないですが、ヒトにとっては蚊についで第2位、動物では第1位の疾病媒介節足動物になっているそうです[5]。
そこで、ダニがどうやって血を吸うのか、少し文献を調べてみました。参考にしたのは次の論文です。
[1] 佐伯英治、「マダニの生物学」、動薬研究 No. 57, 13 (1998).(
ここからpdfが直接ダウンロードできます)
[2] 藤崎幸蔵、「マダニとマダニ媒介性疾病の対策、とくにマダニの吸血生理と自然免疫に関する知見をもとにして (1)抗止血機構」、動薬研究 No. 62, 1 (2003).(
ここからpdfが直接ダウンロードできます)
[3] 辻尚利、「マダニの吸血調節物質」、日獣会誌 64, 263 (2011).(
ここからpdfが直接ダウンロードできます)
[4] 辻尚利、藤崎幸蔵、「マダニの生存戦略と病原体伝播」、化学と生物 50, 119 (2012).(
ここからpdfが直接ダウンロードできます)
[5] 藤崎幸蔵、「マダニの吸血消化の分子基盤に関する最近の話題:とくにビテロジェニン受容体とバベシア原虫の介卵伝搬」、動物の原虫病 25, 7 (2010). (
ここからダウンロードできます)
その結果は驚くべきものでした。文献[2]と[4]に描かれた図を参考にして、その仕組みを絵にしたものが次の図です。
マダニの体は顎体部と胴体部に分けることができますが、顎体部には脳組織も目もないことから頭部というよりはむしろ口器だけに相当するそうです[1]。皮膚に取りついたマダニは、鋏角を使って皮膚を切り刻み、そこに口下片を差し込みます。鋏角の先端は動くことができて、その辺りの毛細血管を破り、そこに血のプール(blood pool)を作ります。また、セメント物質を分泌し、体を固定します。よくマダニに食いつかれても引っこ抜こうとすると頭を残して取れてしまうので、無理に引き抜かない方がよいということを聞きますが、たぶん、このセメント物質があるせいだと思います。
蚊などは皮膚に口吻を刺して、皮下にある血管を探して血を吸うのですが、皮膚にある血管は全体の容積の5%に過ぎないというので、探すのはなかなか大変です[2]。また、たとえ探し出しても、血管が細いので、そこから大量に血を吸うのは難しいのです。マダニ成虫は皮膚に取りついて1週間から10日間も血を吸い続け、体は100倍にも膨れ上がると言われています。それだけ長い間、大量の血を吸うために、この図のようなblood poolを作るのです。
でも、ここで問題が起きます。ヒトも動物も血が出ればそれを防ぐ止血機構を持っています。また、異物に対しては免疫機構により防ごうとします。蚊ぐらいの短い時間ならば問題はないのですが、マダニのように1週間も血を固まらないようにするためには特別の仕組みが必要になります。
その仕組みを知るために、まず、ヒトの止血の仕組みについて調べてみました。
これは、
一般社団法人日本血液製剤協会HPの図を参考に描いてみた止血・血管修復の仕組みです。血管が破れると、そこに血小板が集まってきて血小板血栓ができます。これだけだと弱いので、そこにフィブリンというたんぱく質が覆いをつくり、それを網目状にして頑丈なフィブリンネットを作ります。こうして一時的に止血した後、表皮細胞を再生させ、その後、血小板やフィブリンを分解して血管の修復が終わります。
つまり、血管の止血は次の3つの過程から成り立っていると考えられています[2]。
1.血小板凝集により血栓形成→血管破たん部分に栓をつくる
2.血漿の凝固メカニズムの活性化→フィブリンメッシュが血栓を固着
3.血管収縮
1、2は上の絵で説明しましたが、さらに、血管平滑筋を収縮させて血が流れないようにします。つまり、マダニがblood poolを作ろうとすると、これだけの過程をすべて潰さないといけないのです。上の論文[2-4]によりますと、これらに関与するさまざまな物質が唾液腺から分泌されていることが分かってきました。それらをまとめてみると、次のようになります[2-4]。
抗止血
抗血小板物質:アピラーゼ、ディスインテグリン、モウバチン
抗血液凝固物質:マダニ抗凝固ペプチド(TAP)、トロンビン阻害因子、ロンギスタンチン
抗血管収縮物質:プロスタグランディン、ヒスタミン結合蛋白
抗血管修復
血管新生抑制物質:ヘマンギン
これらの物質が唾液腺から分泌され、止血や血管修復を巧妙に抑制して、長時間、blood poolが維持されるようにしているのです。これは数億年の昔から動物とそれから吸血するマダニの間で互いに進化しながら獲得されてきた仕組みなのです。薬理学者の間では、マダニは「節足動物界最強の薬理学者」だと呼ばれてきた所以であります[2]。このマダニの唾液腺に含まれる物質をヒントにしてさまざまな薬の研究も行われています。
(イラストはフリー素材を用いました)
マダニの生活史はこの図のようになっています(「マダニ対策、今できること」、国立感染症研究所昆虫医科学部(
ここからpdfが直接ダウンロードできます)を参考にしました)。卵から孵った幼ダニは野ネズミなどの小動物に取りつきます[1]。そして、4-5日吸血して飽血すると、セメント物質を溶かして落下し、1週間後に若ダニに脱皮します(血を十分に吸っていっぱいになることを飽血といいます)。若ダニはウサギなどの中型の動物に取りつき、やはり4-5日吸血して飽血すると落下して、2-3週間後に成ダニに脱皮します。成ダニはシカなどの大型の動物に取りつき、6-10日ほど吸血して約10倍の体重増加になります。吸血中に交尾すると、その後は急速な吸血を行い、さらに約10倍に増え飽血すると落下します。その後、数日~1か月程度で産卵することになります。吸血中に交尾できないと長時間吸血を行いますが、落下後産卵はしないで、そのまま生涯を閉じることになります。一方、♂は少量(数倍)吸血するだけで♀を探し、交尾に至ります。ただし、マダニの交尾は精子を入れた袋を♀の生殖門に送り込むだけのものだそうです[1]。受精後、♀は300-数千個の卵を産卵します。受精をしても受精卵と未受精卵ができ、未受精卵は♂、受精卵は♀になります。このように、幼ダニ、若ダニ、成ダニと異なった宿主から吸血するので、3宿主性と呼ばれています。
抗免疫についてははっきり書かれていなかったのでここでは書きませんでした。また、マダニには病原体を媒介するというヒトや動物にとっては厄介な役割も果たしています。でも、長くなったので、この話はまた別の機会にします。