ガガンボの翅脈の続き
冬の間、虫がほとんどいないので、この間からハエ目の翅脈の勉強をしています。今日は先日出したガガンボの翅脈の続きです。
過去の論文や本を見ているとハエ目の翅脈の話にガガンボはよく登場します。そこで、これまでガガンボの翅脈でどの部分が問題になってきたのかをまとめてみました。
これは私の標本箱の中にあった古いガガンボの標本です。翅脈の名称は「日本産水生昆虫」を参考にしてつけました。これまでガガンボの翅脈の帰属について問題になったのは、①から③の部分です。①についてはこの間も紹介しました。これは最終的にはハエ目の近縁であるシリアゲムシ目とこのシリアゲムシの翅脈にもっとも近い翅脈をもつハエ目のガガンボダマシを比較するのがよいのですが、手元にガガンボダマシの標本がないので、今度、捕まえた時に調べてみることにします。
ただ、vena spuria(擬脈)と書いた「脈」が翅脈なのか擬脈なのかを論じた三枝豊平氏の原稿
T. Saigusa, "A new interpretation of the wing venation of the order Diptera and its influence on the theory of the origin of the Diptera (Insecta: Homometabola)", 6th International Congress of Dipterogy, Fukuoka 2006. (ここからpdfがダウンロードできます)
を読むと、1964年にRohdendorfという人が偏光を用いてこの脈を調べ、他の脈と光学的に異なった性質を持っていると書かれていたので、面白いなと思って調べてみました。
翅の基部に近いところの写真です。矢印で示したのが、問題の「脈」です。
この写真は問題の「脈」の走る向きに対して斜め45度方向に向けた直線偏光板を実体顕微鏡の試料ステージの上に置き、その上に小さなペフ板に針で刺したガガンボの標本、さらに、対物レンズのすぐ下に、先ほどとは90度向きを変えた別の直線偏光板をおきます。そして、透過照明にして撮影したものです。光学的に等方な物質(向きによって性質の変わらない物質)ですと真っ黒になるはずなのですが、向きによって性質の異なる(異方性)物質があると光が通るようになります。この写真では、翅脈はいずれも少し明るくなっているので、多少とも異方性があることが分かります。さて、問題の「脈」は白く浮き出ているので、強い異方性を持っていることが分かります。たぶん、高分子のような細長い繊維状の分子が「脈」に沿って並んでいるのではないかと思います。ちょっと試してみただけなのですが、結構、面白い結果になりました。
次は②の脈についてです。この脈は昔からM4脈と呼ばれたり、この写真のようにCuA1脈と呼ばれたり、M4+CuA1脈と呼ばれたりしていた問題の脈です。この写真はMND(Manual of Nearctic Diptera)Vol. 1のガガンボ科のところに載っていた図を参考にして名称をつけたものです。問題となるのはCuA1と書いた2箇所です。「日本産水生昆虫」の図に準じて書くと次のようになります。
つまりm-cuと書いた脈をCuA脈の分枝としてみるか、それともM脈とCuA脈の間の横脈として見るかという点にかかっています。これに関しては三枝氏の原稿にも載っていますが、次の論文でも議論されていました。
G. W. Byers, "Homologies in wing venation of primitive Diptera and Mecoptera", Proc. Entomol. Soc. Wash. 91, 497 (1989). (ここからダウンロードできます)
そもそもなぜこれが問題になるかというと、通常M脈は凹脈(翅には細かい折り目のようなものがあるのですが、その凹んだ部分にある脈)なのですが、この脈だけが凸脈であり、CuA脈は一般に凸脈なのでM脈ではなく、CuA脈だという主張と、CuA脈は末端でしばしば分岐することがあるから、これもその分岐の一つと考えたらよいというのがCuA脈派の主張です。これに対して、Byersは次のような点を検討しました。
1)気管の分岐と比較
2)脈上の刺毛
3)脈の凹凸
4)シリアゲムシ目との比較
1)は発生の途中で気管が翅脈の中をどのように走るかを調べて帰属を行おうとするものです。調べてみると、CuA脈の中を走る気管は問題の場所で特に分岐することなしに真っ直ぐ走ったとのことで、m-cuと書かれた脈が横脈だということを裏付けました。また、M脈やCuA脈の上には刺毛列があるのですが、m-cuと書いた脈の上にはありません。これもCuAやM脈とは性質の異なる脈であることを裏付けます。次は脈の凹凸に関するものです。問題の脈は凸脈で、それ以外のM脈は凹脈のようですが、R脈についても同じことが見られるようです。つまり、末端にあるR5またはR4+5脈がしばしば凸脈になるそうです。従って、これは翅脈の性質というよりは単なる(翅の強度を増そうとする)構造上の問題でそうなったのではないかと考えました。さらに、シリアゲムシ目ではこの脈をM4脈としていて、なおかつ凸脈だということで、彼はM4脈説を支持しました。
実際に観察してみると、脈上の刺毛列は確かにm-cuと書いた脈上にはありません(上の写真でもよく見ると脈上の刺毛列を確かめることができます)。また、翅の端では脈の凹凸があまりはっきりしていなくて、M4脈と書いた脈が凸で、他のM脈が凹だとあまり明確には言えないようです。というので、私もM4脈でよいのではと思いました。
最後はSc脈辺りの話です。
この写真で問題になるのはSc2と書かれた部分です。ガガンボの種類によってSc脈はC脈に合流するものと、R1脈に合流するもの、その両方に合流するものがあります。それで、古くからC脈に合流するものをSc1、R1脈に合流するものをSc2と書く習慣がありました。この写真の翅脈の名称はMNDのガガンボ科の節に載っていたものを参考にしてつけたのですが、Sc2脈はR1脈に合流した後、再び現れて最終的にC脈に合流しています。その影響でR脈の名前が少しずつずれて書かれています。
こちらは「日本産水生昆虫」に載っていた図を参考につけたのですが、そんなややこしいことをしないで、単純な名前が付けられています。それでは次のような場合はどうするかというので、マダラガガンボの例を載せます。
これはマダラガガンボの翅です。問題の部分を拡大すると次のようになります。
Sc脈は最後の部分で分岐し、一つはC脈に、もう一つはR1脈に合流しています。これをMNDのガガンボ科に書かれている流儀で書くとこの上の写真のようになります。すなわち、Sc1とSc2に分岐するというわけです。上のガガンボではこのSc1がなかったので、Sc2だけになっていたのです。これについても、「日本産水生昆虫」流では、
たぶん、このように名前が付けられているのではないかと思います。つまり、R1脈に合流する部分をsc-r横脈とするのです。「たぶん」と書いたのは、横脈の方が太くて長いので、これでいいのかなと思ったからです。これについて書かれた論文はあまりないのですが、MNDのMcAlpineが書いた節には注釈として、分類学的にそれほど重要ではないので、Sc2は除いて考えてもよいのではないかと書かれていました。
はっきりしない部分もあるのですが、これだけ調べると、ガガンボの翅脈も少し分かったような気がします。何分にも素人が勉強のつもりでやっているので怪しいなと思って読んでいただけたら幸いです。
過去の論文や本を見ているとハエ目の翅脈の話にガガンボはよく登場します。そこで、これまでガガンボの翅脈でどの部分が問題になってきたのかをまとめてみました。
これは私の標本箱の中にあった古いガガンボの標本です。翅脈の名称は「日本産水生昆虫」を参考にしてつけました。これまでガガンボの翅脈の帰属について問題になったのは、①から③の部分です。①についてはこの間も紹介しました。これは最終的にはハエ目の近縁であるシリアゲムシ目とこのシリアゲムシの翅脈にもっとも近い翅脈をもつハエ目のガガンボダマシを比較するのがよいのですが、手元にガガンボダマシの標本がないので、今度、捕まえた時に調べてみることにします。
ただ、vena spuria(擬脈)と書いた「脈」が翅脈なのか擬脈なのかを論じた三枝豊平氏の原稿
T. Saigusa, "A new interpretation of the wing venation of the order Diptera and its influence on the theory of the origin of the Diptera (Insecta: Homometabola)", 6th International Congress of Dipterogy, Fukuoka 2006. (ここからpdfがダウンロードできます)
を読むと、1964年にRohdendorfという人が偏光を用いてこの脈を調べ、他の脈と光学的に異なった性質を持っていると書かれていたので、面白いなと思って調べてみました。
翅の基部に近いところの写真です。矢印で示したのが、問題の「脈」です。
この写真は問題の「脈」の走る向きに対して斜め45度方向に向けた直線偏光板を実体顕微鏡の試料ステージの上に置き、その上に小さなペフ板に針で刺したガガンボの標本、さらに、対物レンズのすぐ下に、先ほどとは90度向きを変えた別の直線偏光板をおきます。そして、透過照明にして撮影したものです。光学的に等方な物質(向きによって性質の変わらない物質)ですと真っ黒になるはずなのですが、向きによって性質の異なる(異方性)物質があると光が通るようになります。この写真では、翅脈はいずれも少し明るくなっているので、多少とも異方性があることが分かります。さて、問題の「脈」は白く浮き出ているので、強い異方性を持っていることが分かります。たぶん、高分子のような細長い繊維状の分子が「脈」に沿って並んでいるのではないかと思います。ちょっと試してみただけなのですが、結構、面白い結果になりました。
次は②の脈についてです。この脈は昔からM4脈と呼ばれたり、この写真のようにCuA1脈と呼ばれたり、M4+CuA1脈と呼ばれたりしていた問題の脈です。この写真はMND(Manual of Nearctic Diptera)Vol. 1のガガンボ科のところに載っていた図を参考にして名称をつけたものです。問題となるのはCuA1と書いた2箇所です。「日本産水生昆虫」の図に準じて書くと次のようになります。
つまりm-cuと書いた脈をCuA脈の分枝としてみるか、それともM脈とCuA脈の間の横脈として見るかという点にかかっています。これに関しては三枝氏の原稿にも載っていますが、次の論文でも議論されていました。
G. W. Byers, "Homologies in wing venation of primitive Diptera and Mecoptera", Proc. Entomol. Soc. Wash. 91, 497 (1989). (ここからダウンロードできます)
そもそもなぜこれが問題になるかというと、通常M脈は凹脈(翅には細かい折り目のようなものがあるのですが、その凹んだ部分にある脈)なのですが、この脈だけが凸脈であり、CuA脈は一般に凸脈なのでM脈ではなく、CuA脈だという主張と、CuA脈は末端でしばしば分岐することがあるから、これもその分岐の一つと考えたらよいというのがCuA脈派の主張です。これに対して、Byersは次のような点を検討しました。
1)気管の分岐と比較
2)脈上の刺毛
3)脈の凹凸
4)シリアゲムシ目との比較
1)は発生の途中で気管が翅脈の中をどのように走るかを調べて帰属を行おうとするものです。調べてみると、CuA脈の中を走る気管は問題の場所で特に分岐することなしに真っ直ぐ走ったとのことで、m-cuと書かれた脈が横脈だということを裏付けました。また、M脈やCuA脈の上には刺毛列があるのですが、m-cuと書いた脈の上にはありません。これもCuAやM脈とは性質の異なる脈であることを裏付けます。次は脈の凹凸に関するものです。問題の脈は凸脈で、それ以外のM脈は凹脈のようですが、R脈についても同じことが見られるようです。つまり、末端にあるR5またはR4+5脈がしばしば凸脈になるそうです。従って、これは翅脈の性質というよりは単なる(翅の強度を増そうとする)構造上の問題でそうなったのではないかと考えました。さらに、シリアゲムシ目ではこの脈をM4脈としていて、なおかつ凸脈だということで、彼はM4脈説を支持しました。
実際に観察してみると、脈上の刺毛列は確かにm-cuと書いた脈上にはありません(上の写真でもよく見ると脈上の刺毛列を確かめることができます)。また、翅の端では脈の凹凸があまりはっきりしていなくて、M4脈と書いた脈が凸で、他のM脈が凹だとあまり明確には言えないようです。というので、私もM4脈でよいのではと思いました。
最後はSc脈辺りの話です。
この写真で問題になるのはSc2と書かれた部分です。ガガンボの種類によってSc脈はC脈に合流するものと、R1脈に合流するもの、その両方に合流するものがあります。それで、古くからC脈に合流するものをSc1、R1脈に合流するものをSc2と書く習慣がありました。この写真の翅脈の名称はMNDのガガンボ科の節に載っていたものを参考にしてつけたのですが、Sc2脈はR1脈に合流した後、再び現れて最終的にC脈に合流しています。その影響でR脈の名前が少しずつずれて書かれています。
こちらは「日本産水生昆虫」に載っていた図を参考につけたのですが、そんなややこしいことをしないで、単純な名前が付けられています。それでは次のような場合はどうするかというので、マダラガガンボの例を載せます。
これはマダラガガンボの翅です。問題の部分を拡大すると次のようになります。
Sc脈は最後の部分で分岐し、一つはC脈に、もう一つはR1脈に合流しています。これをMNDのガガンボ科に書かれている流儀で書くとこの上の写真のようになります。すなわち、Sc1とSc2に分岐するというわけです。上のガガンボではこのSc1がなかったので、Sc2だけになっていたのです。これについても、「日本産水生昆虫」流では、
たぶん、このように名前が付けられているのではないかと思います。つまり、R1脈に合流する部分をsc-r横脈とするのです。「たぶん」と書いたのは、横脈の方が太くて長いので、これでいいのかなと思ったからです。これについて書かれた論文はあまりないのですが、MNDのMcAlpineが書いた節には注釈として、分類学的にそれほど重要ではないので、Sc2は除いて考えてもよいのではないかと書かれていました。
はっきりしない部分もあるのですが、これだけ調べると、ガガンボの翅脈も少し分かったような気がします。何分にも素人が勉強のつもりでやっているので怪しいなと思って読んでいただけたら幸いです。
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